1998年、プロ野球の横浜ベイスターズが、38年振りにリーグ優勝、日本一を達成し、大きな話題となりましたが、
その横浜ベイスターズが、38年振りのリーグ優勝を決めた試合でのエピソードです。
1998年10月8日、横浜ベイスターズは、38年振りの優勝まで、
マジック「1」に迫り、甲子園球場での阪神戦に臨んでいました。
横浜が、4-3と1点をリードした、9回裏。
この回を乗り切れば、横浜の38年振りの優勝が決まります。
マウンド上には、「大魔神」佐々木主浩投手が仁王立ちし、
阪神の打者陣を、簡単に打ち取っていきました。
そして、2アウト・ランナー1塁で、打席には、新庄選手、という場面を迎えました。
佐々木投手が、新庄選手を打ち取れば、横浜の優勝が決まるという、
重要な場面で、
横浜のショートを守っていた、石井琢朗選手は、堪えきれずに、涙を流していました。
あと一人、あと一人をアウトに取れば、夢にまで見た、優勝が現実の物となるのです。
それまでの、長く苦しかった道のりを思い起こし、石井選手は、早くも、涙を流していたのでした。
この石井選手は、コンタクトレンズの愛用者でしたが、
当時のコンタクトレンズは、今ほど、性能も良くなく、
とめどなく溢れる涙で、前がよく見えなくなっていたそうです。
「あの時、球が飛んできたら、見えなくて、捕れなかったと思う」
と、石井選手は後に語っていますが、
最後は無事に、佐々木投手はショートにゴロを打たせる事なく、新庄選手を三振に打ち取り、ゲームセットとなりました。
一歩間違えば、「石井のコンタクト事件」と、なっていたかもしれませんね。